笑売千四百六十五日目
こんばんは、柏駅西口と南流山で昼飲み可能な串揚げ居酒屋「串かつ さじろう」店主のさじろうです。
かなりの長文です。
昨年の11月27日から修行希望で働いてくれてた奥野くん。
ゴールデンウィーク最中の5月1日に不慮の事故で亡くなり、天国へ旅たってしまいました。
本当に悲しくて悲しくて、ただただ無念でなりません。
きょうは奥野くんを一生忘れないために、またさじろうでの奥野くんをいつでも鮮明に思い出せるよう、奥野くんとの思い出を書きます。
奥野くんとの出会いはこのブログがきっかけ。
奥野くんがパン粉屋さん勤務時代に、将来串かつ屋をやりたいと思ってネットを調べると僕のこのブログと出会ったよう。
そして奥野くんが初めて食べに来てくれた時、たまたまお店が暇で僕が早上がり。
お客さんの奥野くんと一緒にカウンターで隣同士、串かつ屋さんのあれこれを話しながら飲んだのが奥野くんとの初めて出会った日の思い出。
以来、ときどき食べに来てくれるようになりました。
奥野くんの好きな串かつはプチトマト。
2店舗目の物件を真剣に探していた昨年の春頃かな、奥野くんに
奥野くんならいつでも待ってるで
と言ったら、後日スーツを来て僕の前に現れ
物件が決まったら働かせてください
との奥野くんから志願。
その2ヶ月後ぐらいかな、偶然なのか必然なのか南流山店の物件と巡り合い、奥野くんに報告。
会社への退職希望を伝えた報告やその他の細かなことなど、働き始める前から律儀に逐一報告してくれました。
そして11月27日から柏本店の僕の元で働くことに。
奥野くんとは同じ大阪出身で同じ大学、おまけに誕生日は1日違い。
そして脱サラをして修行と、まさにかつての僕。
人柄や性格はお客さん時代から本当に誰もが認める超超超最高で、物腰も柔らかい好青年。
お客さんからスタッフとなっても親近感を感じまくってたので、ほんと自分の子供と同じように可愛がり、全力で向き合い、そして接してきました。
奥野くんはかつての僕と同じで、お金を稼ぎに来てたのではなく、自分の夢と家族の未来のために志事をしにきてました。
なので本当に応援のし甲斐、教え甲斐がありました。
奥野くんと一緒に働き始めたばかりの仕事ぶりは、脂汗をかきながら一生懸命で本当にすごく真面目。
でも大きな欠点があって、それが雑で大雑把でどんくさい所^^;
出来ないくせに早くやろうとしてあれもこれもと同時にやり、結局はどれも中途半端となって僕に怒られてばかり。
出したものは出しっ放しだったったしね。
なので、奥野くんには仕事に対する考え方と心構え、そして正しいやり方を徹底的に叩き込みました。
普段はどうあれ仕事中は雑な性格を変えろ
と何度何回、言ったことか。
その一方で奥野くんのすごい所が、休憩時間や休みの日にはわざわざ南流山店の年下の航平店長の元に行き、色々と教えを請うてたこと。
そんな隠れた努力を僕には一切言わないところが男らしいというか、くそ真面目というか。
僕が常に全力で本気ゆえに厳しく言い続けた事、仕事が思うようにできない不甲斐なさ、飲食店経営の現実の厳しさを知って徐々に自信が無くなっていったんでしょう。
そして未来をイメージしづらくなって思い悩んでたんでしょう。
しだいに笑顔が少なくなり、ついにはよっぽど辛かったんでしょう。
急に泣きだして
通勤の時が辛いし合わないと思うので辞めさせてください
と言ってきました。
その時に僕は辞める事自体は止めませんでしたが、たった3ヶ月しかやってない今ではないやろ、とだけは言いました。
奥野くんの考えや悩みをすべて聞き、そして僕が奥野くんに対して考えてる事や全ての行動の意味をお互いに腹を割って長い時間話し合いました。
やったことないことは出来なくて当たり前、自信がなくて当たり前、出来ないことや知らないことを無くすためにきちんと修行をして勉強をする訳だし、そのサポートとして経験者の僕がいる訳で。
奥野くんのはがゆい気持ちは痛いほど分かるからね。
それから吹っ切れたのか、また笑顔が溢れる奥野くんに。
自信を育ててあげるのが僕の仕事なのに、本気ゆえに厳しく注意したりして奥野くんをどんどん萎縮させてたことを知り、反省した出来事でもありました。
まだその時には揚げは出来ない状態。
でも仕事や作業に対する雑さがみるみる無くなり、その成長が本当に本当に嬉しかったです。
雑さが無くなった頃から仕事を安心して任せられるようになり、揚げ場に向けてのトレーニングに。
再び脂汗をかきながら一生懸命、真面目に水打ちをしてました。
初めてランチの串かつ以外の揚げ場を任せた時にはたった2人前でも大汗。
脂汗をかき、ぎこちなくキャベツを盛り、手を震わせながら味噌汁を注いでたのが印象的。
ランチの揚げ場も徐々になれ、いよいよ串かつの揚げデビュー。
まずはランチの串かつ定食からでしたが、またまた大量の脂汗をかきながら。
この時にはかつての雑さは無く、どんな仕事に対しても丁寧さと正確さを強く意識して出来るまでに成長。
そんな仕事ぶりが随所に見られるようになりました。
また一度僕が言ったことを確実に覚えていてやってくれる確実性と安心感を備えるまでに。
最初は脂汗をかきながら必死に揚げてた揚げ場もよやく慣れ、4月からは週末の揚げ場も捌けるようになりました。
週末の夜の揚げ場を捌けると、平日なんてお手の物。
お客さんと笑顔で話しながらゆうゆうと揚げ場を切り盛り。
こうなると奥野くんの本領発揮で、どんどんお客さんに話しかけて仲良くなり、すごく可愛がられてました。
また奥野くんも楽しそうでした。
僕は洗い場で洗い物をしながらそんな成長した奥野くんを嬉しく見てました。
そこまで成長したので4月から一人前の揚げ手として時給アップ。
ようやくやっと奥野くんに柏本店を自信を持って任せられるようになりました。
実際に4月後半には2日間、完全に奥野くんに柏本店を任せ、僕は大阪新世界のだるまへお礼参りに行きました。
そして5月からは柏本店を奥野くんに、南流山店は航平店長のツートップ体制にしてスタッフみんなのシフト希望を優先して僕がヘルプ要因にとなるシフトを作成。
そうすることでみんなが休みたい時に休める理想の労働環境が整ったばかりでした。
さらに僕がヘルプで南流山店に行くことが可能となり、5月からは南流山店の火曜定休日を無くすことになってました。
奥野くんと串かつさじろう、いよいよこれから全力で本領発揮というまさにそんな時の今回の奥野くんの訃報。
奥野くんに超期待してただけに、また期待できる仕事ぶりだっただけに残念だし悔しいし、なにより無念でなりません。
奥野くんと一緒に働いて教えることが奥野くんの目標達成に繋がる。
それが僕の働く楽しみだったしやり甲斐でもありました。
そして奥野くんの数年後の独立という目標達成が僕の目標の一つでもありました。
本当に仕事に対して真面目で努力家。
そして行動力があって人柄もいい奥野くん。
そんな奥野くんなので独立して自分のお店を持つという目標達成どころか、間違いなく繁盛店を作れたはず。
奥野くんのやりたかったお店の名前が
ゆるく楽しく 串かつ ぽちゃ利
そんな奥野くんのお店「ぽちゃ利」を見たかった。
カウンター越しで店主である奥野くんと昔話をしながら串かつを揚げてほしかった。
繁盛店を作った奥野くんがさじろうOBであることをいろんな人に自慢したかった。
酔っ払った僕の話をひたすら聞いてくれる聞き上手の奥野くんと、もっともっと一緒に飲んで話したかった。
それがもう叶わないのがものすごく悲しい。
今はたまらなく辛いです。
奥野くん、本当にご苦労さまでした。
奥野くんと出会え、一緒に働けてすごく楽しかったです。
奥野くんのことは一生忘れません。
奥野くんのやりたかった想いを胸に、奥野くんの想いとともに僕はこれからも串かつ屋を経営していきます。
ご冥福をお祈りします。
串かつ さじろう店主
岩佐次朗